先日、制作のために、伏見稲荷の事を色々と調べました。
調べると、知らない事ばかりだったので、皆さんとシェアしたいと思い、このブログにまとめようと思います。

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2020.12
297×210mm
アクリル絵の具、フェルトペン

お稲荷さん

●歴史
稲荷神は、稲を象徴する農耕の神様ですが、本来は狐ではありません。
元々は稲荷神の神使いが狐です。
しかし、時代の流れと共に一般的には、稲荷神=稲荷狐と認識されるようになりました。
(正確には、お稲荷=狐ではありませんが、このブログでは分かりやすさを考慮して、狐をお稲荷さんと呼ばせていただきます)

稲荷信仰の歴史は古く、平安時代より前から信仰がありました。
元々は農耕の神様でしたが、長い時間の中で、商売繁盛、家内安全、交通安全、芸能上達の守護神と、色々なご利益ができました。

●狐が神使いになった訳

狐が神使いになった理由は4つあると言われています。
①狐の尾が実った稲穂に似ているから
②狐の習性(甲高い鳴き声、鋭い眼光、俊敏な動きなど)が神秘的だったから
③農業にとって害獣となるネズミを獲ることから
④田畑の近くによく姿を見せることから田畑の守護神と考えられたから

肉食動物の狐は、田畑を荒らしたりせず、昔からいいイメージがあったんですね。

●お稲荷さんのくわえているもの
伏見稲荷をはじめ、多くの稲荷神社では、狛犬の変わりにお稲荷さんが神社を守っています。
よく見ると、口に何かくわえているのが分かると思います。

くわえているのは、稲穂、巻物、鍵、玉の4種類です。
以下、それぞれの意味です。

・稲穂・・・稲荷神が農耕の神様でる事から
・巻物・・・知恵の象徴。どんな願いも叶える秘宝
・鍵・・・・米倉の鍵(諸説あります)
・玉・・・・霊徳の象徴。神さまの御神徳を美しい宝石に例えていています

●玉鍵信仰
稲荷信仰には、『玉鍵信仰』と呼ばれるものがあります。
伏見稲荷に行くと、玉と鍵をくわえたお稲荷さんが多い事に気づくかも知れません。
これは、この玉鍵信仰のためです。

・『玉』⇒稲荷大神の霊徳の象徴
・『鍵』⇒稲荷大神の霊徳を身に付けようとする願望の象徴

「玉と鍵」は、陰と陽、天と地を示しており、万物が二つの働きによって生まれるという理を表しています。
この「玉と鍵」を特に大切にするのが、「玉鍵信仰」です。

●たまや〜の由来
様々なご利益がある稲荷信仰ですが、その中に『火除け』のご利益があります。
江戸時代は火事が多く、『火除け』の神様として、稲荷信仰がされていました。
花火師さんも火を使う仕事のため、稲荷信仰をしていて、店の名前に「玉屋」「鍵屋」とつけていました。
打ち上げ花火が上がった時の掛け声、『たまや~』『かぎや~』は、玉屋・鍵屋の事で花火屋の名前に由来します。

●九尾との違い
ばけ狐、九尾の狐、白狐など、伝説のきつねには、色々な種類があります。
最後にこれらの違いを説明したいと思います。

こういった、ばけ狐や九尾、白狐はまとめて『妖狐』といいます。
この妖狐は全てが悪い狐ではなく、善い狐もいます。
それが、お稲荷さんのモデルにもなった白狐です。
ばけ狐や九尾の狐は、悪い妖狐ですが、その中でも最強なのが九尾の狐です。
九尾の狐は、万年生きた妖狐で「白面金毛九尾」などの伝説が有名です。

(Yahoo知恵袋:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1318483438)
(Yahoo!知恵袋https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14107446634)
(Wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/稲荷神)
(ぶらぶら観光マップ:https://kankou-map.com/kyoto/inari/)
(京都神社めぐり:https://kyoto-shrine.com/husimiinari-kitune/)
(京都観光旅行あれこれ:https://kyotohotelsearch.com/blog/2014/10/02/fushimiinarikitsunekuchi/)

私は専門家ではないので、間違いがあるかも知れません。一参考程度にお読みください。
また、間違いをコメント欄でご指摘いただければ大変ありがたいです。

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長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

現代はコロナウイルスが心配なご時世です。

緊急事態宣言が出される前、伏見稲荷に行ってきました。
そこで、コロナの終息を祈ってきました。

祈りながら、千何百年もの伏見稲荷の歴史の中で、様々な時代の様々な人々が、災害や病気や不幸に直面して、同じように祈ったんだろうな、と思いました。
医療技術も、化学技術も、みんなで助け合う社会システムもまだ未発達だった時代、その危機は本当に切実だったと思います。
そして、その危機を乗り越えてきた先人の子孫が私たちなんだと思いました。

祈り終えて、根拠はありませんが「大丈夫」、そう思いました。
先人たちにエールをもらったような感覚になりました。