先日、友人と一緒に、オットー・ネーベル展を見に行ってきました。

大学では、油絵を専門にしていましたが、恥ずかしながら不勉強でネーベルのことは知りませんでした。

僕は、ネーベルの作品をネットやチラシを見て、「明るくて楽しそうな作家だな」と思っていました。

しかし、ネーベルの作品を見て、2つの理由でそれは大きな間違いだったと気付きました。

まず、ネーベルが活躍した20世紀は、2つの大戦がありました。そして、ネーベルは、2つの戦争共に敗戦国であるドイツの画家でした。
22歳の時、第一次大戦が始まり、ドイツ東西前線で戦争の時期を過ごすことになります。そして、1933年、41歳のとき、ナチスに退廃芸術と指定され、ドイツから永世中立国のスイスに亡命しています。その6年後に、第二次大戦が始まります。

そういった命をつなぐことさえ難しい時代に制作を続けることは並大抵の覚悟ではなかったと思います。まさに、命がけで描いていたのだと思います。

そして、もう一つ、抽象表現というか、表現主義というか・・・とにかく、前衛的な絵画はいつの時代も先人たちの制作を踏襲するのとは違った難しさがあるだと思いました。

僕が学生の頃「学生時代は社会や大人が敷いていたレールに乗っていたらいい、でも社会に出たら、そのレールがなくなって、自分で道を見つけないといけないよ」と言われいました。
前衛芸術の難しさも、これに似ているかもしれません。レールはおろか目印さえない、右も左も上も下も分からない世界で上を目指すようなものだと思います。
頼れるものは自分しかなく、自己を内省し内省し、それを目印にするしかない。それは、血のにじむような試行錯誤の連続だったと思います。

ネーベルの作品からは、自分の内面を絶えず見つめる刺すような眼差しと、作品を見つめる妥協のない厳しい目を感じました。
「楽しくて明るい絵」という始めの僕の印象は、展覧会を見終わった時、全然違う印象になっていました。
とてつもなく厳密で厳しい、絵を描くことに人生と命をかけた画家。

そして、その偉大な先人の作品を見ながら、「ほんのひと時でも、ネーベルにはとても及ばないまでも、自分は厳しく真剣に美術と向き合ってこれただろうか?」と自問していました。

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オットー・ネーベル展
2018.4.28(sat)-6.24(sun)
10:00-18:00(fr-19:30まで)
京都文化博物館
604-8183
京都市中京区三条高倉